羅生門・京マチ子

 途中つまらないことで映画に集中できなくなってしまった。
 このように美しく気品溢れる女優が、なぜ下品で関西弁丸出しのおばさんに変身してしまったのだろう。顔も別人見たいになっているし変だおかしい、なんてアホなことで悩んでいたのだが、変でおかしくて当たり前だ。京マチ子京唄子に変わるはずかない。
 羅生門を見ていてまず目を奪われるのは手持ち移動カメラを多用して臨場感を演出し大胆に俳優に迫っていくカメラワークだ。長尺パーンを多用しながらも緻密な構図にきっちりとまとめていく雨月物語のカメラワークも素晴らしかったし、当時の日本映画界カメラマンのレベルは凄かったのだなぁと思ったが、テロップを見直して納得。両作品とも宮川一夫の手によるものである。
 そして何よりも京マチ子!気品の奥に色気を漂わせる彼女の美しさを何と表現すればよいのだろう。彼女の一挙一動に心が熱く濡れ揺れ動いてしまうのである。