沖縄に完敗

 沖縄の厳しさは想像を超えていた。
 2度目の普久川ダムからはずっと太腿ないし脹脛、或いは同時に複数個所が常時攣りながらの走行で、痛みに耐えながら、僕のような低レベルの人間がこの距離に参加してよかったのだろうか?と自問しながらペダルを回し続けていた。
 このレースの辛さをどう表現したら良いのだろう?
 平坦基調で始まる最初の70kmはウォームアップのようなものだなんてとんでもない。道路の状態や落車でストップ&ゴーが続き、後輪をロックさせて何とか止まったと思ったら、今度は一気に50km超までペースを上げなければいけない。落車の乾いた音が響くたびに巻き込まれなくてよかったと思い、かつ、僕がその原因となってはいけないと気を引き締め、危険を感じたら即座に”ブレーキ”と叫び続ける。バイパスに出るまでの40kmはアドレナリンがでまくっていたのでクリアできたが、普段のジロ錬がこんなペースだったら僕は毎回チギれている。
 与那を右折して普久川の登りへ。
 二日間の試走では楽勝でアウターで登り切れると感じ、ここで落として2枚足して・・・なんて計算していたのだが、とんでもない。足が動かない・・・流しといわれる頭の70kmで完全に足に来ていたのである。
 いうなれば大仏でサノアキ君やジャンボ君に7周ほど引き回されたあとでエアロビの激坂に突入するような感じであろうか・・・。
 物凄い数でヒットしてもらっているので結論を先に報告しておくと、運営上の不手際が招いた再スタートに偶然や幸運が多数重なり、最後にはDr.Crazyの運気までも奪い取るような形で走りぬくことができました。
 皆さんから色々と気を使っていただき声を掛けてもらったことが力になりレース途中で投げ出さずに頑張ることが出来ました。苦しくなるたびに直江津や瀬又を思い起こしながら走っていました。
 しかし、大学受験で試験問題の不具合が判明し全員合格になったようなものなので、胸を張って結果を報告することが出来ません。来年再び挑戦してみたいという気もしますが、今はこんな過酷なレースには2度と触れたくないという気持ちのほうが強いのです。僕が置かれた環境の中で、仕事と家庭とのバランスをギリギリのところで取りながら頑張ってきたという自負はあるのですが、沖縄は甘くはありませんでした。
 自分の情けない走るを振る返る度に沖縄の価値を落としてしまったような気がしてなりません。今シーズンとはケタ違いにマジになって練習を積み重ね、再度度挑戦すべきなのでしょうか・・・。