シークレットレース

近藤史恵のエデンを読んだときには、薬物問題EPOがストーリー展開の道具として安易かつ軽率に扱われているのに怒りを感じた。逆に、タイラーハミルトンのシークレットレース読んでいたら、心が暗くズシリと重くなった。


 僕はほとんど自転車レースは見ないのだが、唯一の例外が2003年のツールで、ベロキやマヨが山岳でランスに挑み、総合ではウルリッヒがランスの背後にピタリとついて最後のTTになだれ込んだ、スリリングな大会だった。包囲網を潜り抜け貫録の勝利を飾ったランスを格好いいと思った。
 前年までUSポスタルでランスのサポートをしていたタイラーハミルトンが、CSCに移籍しランスのライバルとして戦いを挑んだ大会でもある。序盤の店頭で鎖骨を骨折してしまい期待通りの走りを見せることは出来なかったが、15ステージで転倒したランスを待つため前を行くウルリッヒに声をかけたフェアプレイと、次のステージでの100km近い独走勝利で、大会裏MVPといっても過言でないほどの存在感を示した。誠実そうなナイスガイに見えた。


あの時の興奮と感動は一体何だったんだろう。


シークレットレースに嫌悪感を感じなかったのは、ハミルトンの告白は極めて人間的なものに感じられたことと、薬物問題を徹底的に暴露し問題根絶を祈っているように感じられるからだ。もちろん、ランスに対する復讐心もあるのだろうが。


しかし、欧州ロード世界における薬物汚染の実態は、想像以上に計画的かつ陰湿で、それがパフォーマンス=報酬・ステータスとダイレクトに結び付くため根絶は難しいように感じられる。1000日間ツアーを闘い、パワーウェイトレシオを僅か数パーセントあげられたら、スターの座が手に入れられる、或いは、サーカスの一員として確実に生きて行けると分かった時、あなたは、その時クリーンでいられますか?と云うタイラーの問い掛けにイエスと断言出来る人がどれだけいるのだろうか。


感動は感動として心に残って欲しい。
問題根絶のため、ランスも真実を全て明らかにして欲しい。