風の歌を聞け

 自転車に乗っていて何が辛いかといえば、まず思うのが急坂であり向かい風である。坂のほうは、その急坂度合いにもよるが、こんなもの克服してくれようぞ!というファイトが沸いてくることもあるが、向かい風はただ辛いだけである。そもそも、スピードの上昇ときっちりと比例して空力抵抗も増してくるのである。早く走れば走るだけ空気が壁のように重い存在になってくるのだある。そう、25-30km程度だとまず気にならないが、35kmを超えてくるとグォーンという風切り音が強烈になってi-Potの音楽など全く聴こえなくなる。さらに、40kmを超えてくると、頼むから真空状態で走らせてくれ!と叫びたくなるほどだ。それでは酸欠になって死ぬだけなのだが、そう思いたくなるほど自転車乗りにとって空気抵抗はジャマで辛い存在なのだ。そう、試しに時速40kmで走っている車の窓から手を出してみて欲しい・・・少しは僕の気持ちが分かってもらえるのではないか。
 しかし、プロの連中はタイムトライアルでさえ、もちろんコースや条件により大きく変動はするが、平均50km前後では走るのだから、その足は半端じゃない。僕なら立ちすくんでしまうような20%を超える絶壁のような坂も簡単にねじ伏せてしまうのだ。中でも、今年のジロを勝ったバッソはどうだ。凄く端正な顔立ちをしているのだが、どんな局面になっても殆んど表情が崩れることがない。周りのライバルたちが何かを求めて大きく口を開け、そして脱落していったも、悲しむこともにやりと笑うこともなく、淡々と涼しげにペダルを漕ぎ続けていく。そう、彼の周りにだけ違う風が吹いているように。
 ・・・風の歌を聞け・・・
 なんという強引な展開なのだろう。まぁいい。
 ふと、村上春樹のことを思い出した。そして彼の作品を読んだ僕の青かった頃を。しかし、鮮烈な印象を受けたはずなのに、ただの一つとしてストーリーが思い出せない。幾つかの断片的なシーンやそれにまつわる自分の周りにおきた出来事がいくつか浮かんでくるだけである。
 僕の記憶力の乏しさはすでに理解していたが、ここまでのものとは思わなかった。悲しい事実。
 だったら、もう一度読み直したらいいじゃないか!歳を重ねて少しは楽天的に物事を考えることが出来るようになったようだ。村上春樹はもう一度僕のことを振り返ってくれるのだろうか。
 僕は早速彼のデビュー作を探しに街に出た。直ぐに懐かしい講談社の黄色い背表紙に目が行くのだが、なぜか風の歌を聞けは置いていない。どの本屋も彼のためのスペースはタップリと取っているし、ノルウェーの森などは必ずといっていいほど平置にされているのというのにだ。どうも風の歌と羊をめぐる冒険の上巻が欠本になっている傾向があるようだ。
 少し考えてみれば分かることだが、彼の本をデビュー作から読み返す必要性などない。目の前にある作品からやっつけていけば、それでいいはずなのだが、僕は何かの儀式に臨むかのように意味のない形式にこだわった。
 そしていくつの本屋をめぐり、9件目に回った、ほとんどスタンドのような、期待もしていなかった小さな本屋でようやく風の歌を聞けを手に入れることが出来た。さぁ、いよいよ”彼をめぐる冒険”をはじめることにしよう。