世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

 機内ではXmenを見ることも出来たのだが、敢えて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に臨む。二つの物語を同時に進行させ最後に繋げようという意欲的な小説なのだが、主人公は例の如く周りを小バカにしたようなスカした屋内野郎で、少しもハードボイルドな匂いがしない。展開上不要になった登場人物をバッサリ切り落としていくのは相変わらずなのだが、組織と記号士の対立に巻き込まれて双方の組織から狙われる立場にありながら、ゆったりと服を買い車をレンタして身なりを整え、それっぽくイタリア料理を楽しんでから図書館の女を抱き、最後は一人で極めて内省的に入っていくというハードボイルドワンダーランドのトーンの変化には相当無理を感じる。こんな展開であれば、ここまで分厚くする必然性は何もなかったのではないか。

 ボクが彼の小説をここまで読み返したのは、知的冒険心をくすぐる大胆な不思議な世界に魅力を感じるからなのだが、僕は彼の世界に深くのめり込むことは出来ないでいる。僕に作品を選択する自由があるように、村上春樹も読む者を挑発し、時には踏み絵すら置いて読者の絞込みを行っているように感じられるのだ。少なくとも僕は彼の本を読んでいて、ゆったりと静かな気分に浸ることはできない。彼は意図的に小さなトラップが仕掛けてきたり、敢えて不快感を呼び覚まそうとしたりするからだ。
 それを作者の遊び心だと思える寛大さがあれば何の問題もない。しかし、そんなゆとりを持てない読者は、拒絶か妄信的支持のどちらかを迫られることになるのだろう。
 少なくともデビュー作からここまでの作品群での主人公は徹底してすべての物事から距離を置きかつ醒めていて、偽善的だ。僕には生理的に受け入れることが出来ないのだが、一部というには多すぎる数の村上春樹ルルドレンを生み出していることは事実である。
 あるいは僕が村上春樹に共感できないのは、接待とか社内ネゴとか根回しとかが跋扈する世界に生きる僕の方がpureな心を失っているからなのかもしれない。いずれにせよ村上春樹の世界からは暫く離れようと思う。”今の”僕には彼と時間を共有することが
ちょっと苦痛に感じられるから。