マイノリティの拳

 今日は東大グランド周回で7km。ペースも快適で心地よい走りだったと思いたいが、時計を持たずに走っているので、実際にいい走りだったかどうかは分からない。

 何かの週刊誌で紹介されていた”マイノリティの拳”を八重洲ブックセンターに寄って手に入れた。内容に興味を持ったというよりも、僕の長年の疑問が解けるかも知れないと思ったのである。なぜ、”マーベラス”マービン・ハグラーはフェードアウトしてしまったのか。
 ”石の拳”ロベルト・デュランがゆっくりと崩れ落ちるのを見たときには、誰も”ヒットマントーマス・ハーンズに正対することなんかできないと思った。死にむかっていく力石みたいな狂気が宿った危ない目つきは異様な威圧感を持っていて、だらりと伸ばした両腕は死神が持つ鎌のように妖しく相手に突き刺ささっていった。
 ハグラーはそんな殺し屋を前にしても前に出ることをやめなかった。一発もらったらthe endとなるような強打に対して、真正面から果し合いに臨んでいったのだ。途中で額を割って血を流したときにはもうダメだと思ったが、ハグラーはひるむこと強打に向かい合い、戦慄の”ヒットマン”を完膚なきまでに叩き潰してしまったのだ。
 こんな男らしい奴は見たことがなかったし、これからも彼を超える男に出会うことはないのではないか。
 しかし、ハグラーは世紀の一戦と騒がれた”シュガー・レイ”レナードとの戦いに敗れボクシング界から消えてしまう。僕はこの一戦を見落としたので何もいえないのだがハグラーが判定とはいえ敗北を喫したという事実をどうしても認めることが出来なかった。愚かな闘牛みたいにのろのろと突進を繰り返しては、レナードのスピードとテクニックに翻弄されていたかのように編集されたビデオを後で見たが、そんなものは到底じることが出来なかった。
 この本を読むとハグラーは、この判定に抗議する意味でリングから去ったのだという。恋愛も絡んで入るのかもしれない。その一方で”未だにあの敗戦を受け入れることが出来ない”のだとも。ならば、なぜ再戦を行わず引退してしまったのか。再戦でのKO勝ちだけが、白黒をはっきりさせることくらい彼はわかっていたはずなのに。
 この本のエピローグでハグラーが取り上げられているのだが、僕の疑問は解決されることなく残っている。しかし、僕はこれを次作のプロローグだと思いたい。こんな、中途半端な切り口に一番不満を持っているのは作者自身だと思うし、林壮一という男はハグラーを書き切るだけの情熱を持っていると確信しているのである。