パリ、テキサス

 ライクーダーのボトルネックギターが聞きたくなって、久し振りにこの映画を掛けてみた。
 パリ,テキサス。僕がまだ成人して間もなかった頃、ヴィム・ヴェンダースが好きだといえば間違いのない時代があったのだ。
 ライクーダーが弾くギターがやさしく心を揺らす。どこまで行っても変わりないはずの荒涼とした砂漠地が自然の光と影で美しく表情を変える。どのシーンを切り取っても知的である種の好奇心を刺激する。もちろん、ナスターシャ・キンスキーは美しく、主人公の告白が切なく胸を振るわせる・・・。劇場が明るくなってもしばらく席を立てず、これこそがカンヌでグランプリを取る映画なのだ、などと呟いていたのが、20歳を少し過ぎた頃の気恥ずかしい思い出。
 2児の父親となった今、そんな特別な映画を見直して、若い頃には全く考えられなかった感情が湧き上がった。もちろんライクーダの音楽は素晴らしいしロビー・ミュラーの映像も最高だ。N・キンはやっぱり美しく年甲斐も無く胸をときめかしてしまうのだが、主人公トラヴィスの無軌道かつ無責任な行動が父親として許せないのである。弟夫婦の日常を破壊し、子どもは結局テレクラ務めの元妻に押し付けて去ってしまう。母子が抱合う姿をホテルの外から見つめる姿は”映画として”美しいが、決して許されるものではない。こんなことを感じるなんて、ほんと歳を取ったんだなぁ・・・。
 でも、かつて夢中になった映画をもう一度観て、変わってしまった感性を実感するのも悪くないかもしれない。例えば、あの気狂いピエロに今の僕は何を感じるのだろうか?