リバー・ランズ・スルー・イット

 この映画の影響で日本でも爆発的なフライブームが発生し、信仰とフライフィッシンングの間に境界線はない、という言葉は一部渓流釣りファンの中では特別の言葉になっている。へそが曲がった僕は、郡上釣法の伝承などといって4.5mの竿をダブルハンドで扱ったりテンカラ竿を振り回したりしていたのだが、渓流釣りの素晴らしさは幾ら語っても語りきれないと思っている。そう、関東平野のど真ん中に住んでいる今でも、2月1日の解禁を前にすると郡上・吉田川や馬瀬川の風景が鮮やかに蘇り心が疼いてしかたないのだ。
 ブラッドピッドがこの映画でR・レッドフォードの再来と騒がれたときには30歳近かったことからも、彼がパっと出の2枚目俳優とはちょっと違うことが分かるが、この映画でのブラピの表情が豊かで眩しいことを何と表現したら良いのだろう。
 モンタナ州の豊かな自然に包まれ、厳格だが心の広い父に育てられた兄弟。生真面目で退屈なアニキとやんちゃな弟。ブラビは奔放な次男坊を演じているのだが、彼の無邪気な笑顔に惹かれない女性はいないだろう。この役は彼のために用意されたのではないか、と思うくらい、自然で美しく、この役を演じているのである。
 渓流の流れは心のわだかまりや、怒り、そして老いや死までをも飲み込み静かに流れ続ける。畏敬の念を持って自然を映し描いた監督・R・レッドフォードにも感謝したい。
 僕にとってのブラピとはレバーランズなのだが、代表作としてセブンを挙げる同僚が多い。僕は典型的なチキンハートで、格闘技で血が騒ぐわりには血を見るのが大嫌いなので、どうしてもこの映画を観る気にならない。しかし、同じくデビット・フィンチャーが監督するファイトクラブインパクトのある映画で、ブラピはテロを煽動するカリスマの役を見事に演じている。彼の魅力を持ってすれば現実の社会においても、社会転覆を企てるような秘密組織を結成し巨大な勢力に育てうるのではないか、ここでの彼の演技には求心力がありタフだ。
 原作がフィツジェラルド、監督がD・フィンチャーということで、ベンジャミン・バトンへの興味は膨らむ一方だ。いつ観に行こうかなんてことを嫁さんと話していたら、原作者つながりで話が村上春樹に飛んだ。
 僕が学生だったころ、彼は多くの若者から圧倒的な共感を持って迎えられていた。右手にテニスラケット左手には村上春樹という時代があったのだ。僕もある時期までの彼の小説は殆んど読んでいるが、残念ながら共感と感動を持って彼を迎え入れていたわけではない。ただ時代に流されていただけだ。彼に対する僕の気持ちを集約したのが、こんな嫁さんの一言。
 村上春樹の小説に出てくるような主人公が身近にいたらイヤだし付き合いたくないよね・・・
 話が大きくそれてしまったが、同世代最高のスター・ブラピについて書くのは実に楽しい。彼のことを書きながら僕の過去と今とが繋がってくるのが、また、面白いのである。