ミシェル・ペトルチアーニ

 僕にとって一番大切なミュージシャンって誰なんだろう?
 僕がこれまでに熱をあげた音楽家としてはピストルズ、高校時代に陶酔したジャクソンブラウン、ソロ開始初期のスティング、ナゼか昨日の夢に出てきたTalking Heads、スタカン初期のポール・ウェラーなんて名前が直ぐに浮かんでくるが、”大切な”という言葉に相応しいかというと疑問だ。
 ”重要な”アーティストとして僕のロックの嗜好性形成に重大な影響を与えたスティーリーダンがあるが、これもしっくりこない。同世代のジャズスターW・マルサリスは良く聴いたし彼の主張もある部分良く理解できたので、学生時代に彼についての論議になると、僕は常に彼を擁護する側に回っていたが、内心彼の教条主義的な姿勢にウンザリすることも多かった。

 そうだ、結婚式の入場シーンに使った音楽こそが大切でかつ特別な曲であろう。
 プリンスのキスを使ってもいいか?なんてバカな話もしていたが、扉が開いた瞬間に流した曲はM・ペトルチアーニのパゾリーニである。未来へ飛翔していくようなロマンティシズム溢れる若く甘美なペトルチアーニのピアノが素晴らしく今聴き直しても心を踊る名曲である。ケーキカットの瞬間に地味なベースソロに入ってしまい慌てたことも懐かしく思い出す。
 ペトルチーニは僕と同世代のジャズピアニストで、僕が大学生のときに激しく脚光を浴びたので、僕にとっては希望のアーティストだったし、実際に彼に勇気付けられることが多かった。彼の音楽の素晴らしさを語る上であえて述べる必要性もないのだろうが、彼はカルシウム欠乏症から体の骨が次々と折れていく奇病に襲われながら、そのハンデキャップを克服し、時代を代表する特別なピアニストに上り詰めたのである。身長は1mにも満たないのに、そのピアノタッチは力強く美しい。ピアノを弾かせ聴く人に希望を与えるために特別に神が授けたのではないか、なんてことを彼の指を見るたびに思ってしまう。(僕はジョンのイマジンに共感する人間です、念のため)
 今彼のライブ・イン・コンサートを見ながらこのブログを書いているのだが、なぜ彼の来日コンサートに足を運ばなかったのかと後悔することしきり。純粋に音楽の素晴らしさのみを語るべきだと思うが、やはり、目の前で繰り広げられているのは奇跡の物語なのである。(別の文脈ではあるがS・ガットのドラムも神がかっている、凄い)
 天賦の才とハンデキャップをともに与えられ、そして負った苦労や苦悩の深さや重さ、あるいはそのなかで積み重ねてきた努力の内容を想像してみる。彼が紡ぎだすメロディは希望に満ちている。