グラントリノ

 クリント・イーストウッドはやはり特別な存在である。
 特に、主演作・監督作含め近年の作品は、生と死という根源的な問題に正面から向き合おうとする姿が顕著で、常識的な判断に任せず、あえて社会モラルにまで疑問を投げかけていくような、死生観との真剣な対峙が、作品に独特の深みや凄みを生み出していると思うのである。
 彼が時代の空気を作りだしてきた映像を媒体としたある種のアジテーターであることは疑いようもない事実で、彼がその人生を懐古することは米国の歴史を振り返ることにもつながっていく。社会的責任感をも背負い込んだうえで死に向かい合う姿勢は厳しいが、決して傲慢なものではない。
 そんな、彼のメッセージが散りばめられた名作の一つが、父親達の星条旗で、戦場においてヒーローに祭上げられた2/3人の若者が、自分の立場をわきまえながらも国を背負って生きようとする姿、その重みに苦しみながらも生きていく姿に心打たれるのである。そして、歴史からひっそりと姿を消して天命を全うする潔さ。戦場にヒーローなんかいない、みな仲間のために戦っているのだ、という解釈には泣けてくる。
 彼が求める生き様について描いた作品が”許されざるもの”や”チェンジリング”で、死生観が強調されるのが”硫黄島からの手紙”であろうか。”ミリンダラーベイビー”は尊厳死という問題に対して明確な姿勢を打ち出した作品だが、なんといっても、神懸っているとしか表現できないヒラリー・スワンクの真っ直ぐな信念と、二人を結びつける深い愛情、それを師弟愛と表現すべきなのか、あるいは男女間のものなのか、あるいはお互いを認める尊敬の心から来ているのか、何と表現したらいいのか分からないが、に心を打たれる。
 そして、クリントイーストウッドが彼に最も相応しい、時代遅れで保守的で偏屈な、だけど、誰にも負けない正義感と国への愛を持つ爺さん、を演じているグラントリノ。この映画についてはゆっくり考えながら書き込みたいなと思っていたら、結局後回しになってしまって、旬から大きく外れた題材になってしまった。でも、この映画は彼の代表作として長く語られることになるだろう。だから旬など関係ないと思うのである。
 彼の作品の主人公の多くは引くことを知らないから、そのためにストーリーが歪んだりすることがあるが、それには目をつぶるべきだろう。まず、自分の国が創ったものに誇りと責任を持ち貫く姿、まずこれが素晴らしい。僕も日本人として日本の持つ素晴らしさには常に胸を張っていたいと思う。
 隣人との不思議な心の交流が始まる様子には若干の違和感を感じるが、ベトナム戦争の犠牲者としてのモン族問題(僕は知らなかった)を今回のドラマの根っこにある問題として取り上げ、自分の人生と歩んできた歴史に落とし前を付けようとする結末に僕は素直に頷けるのである。真実を見極めようと厳しく見据えた、涼しげで澄んだ彼の瞳はいくつになっても美しい。