ミッドナイト・イン・パリ

 ジャン・リュック・ゴダールの鮮烈な映像に目が眩み、アンナ・カリーナに魅了されて、同時代ではないパリに憧れ夢中になりアテネ・フランセに通ってみたりして・・・。60年代のパリ、カルチェラタンっていうのが、80年前後に大学生活を送った僕にとっての幻想的理想郷であって・・・。あれだけ恋漕がれていたのに、僕はまだパリを訪れたことがないのだけど・・・。


 ウッディアレンのミッドナイト・イン・パリをみてて胸が締め付けられ、でも、最後に現実に戻って行って主人公に胸をなでおろしてりして・・・。放遊した若い時代の精神と、現実を避けることが出来ず現実だけを見る今とが、微妙に重なり合いながら、現実にと留まることが当然と思う今の気持ちが勝つのが当たり前だって思いながら、あの子は今何をやっているんだろうな?なんてことも考えたりして。


 何度も声を出して笑ってしまった。こんな僕と同じセンスを持つ誰かと夜を徹してでも語り合いたい気分。


 もしかすると、「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」と同じくらい大切な映画になるかも知れないって云ってもいいくらい、久々に、心に響いた素敵な佳作。

 
 ブロンディの1982年のライブDVDを観ながら5月の自転車活動を総括。僕にとってのNYパンクっていうのはパティ・スミスやトーキングヘッズであって、妖艶でセクシャルな美貌を武器にした売りたい売らせたいってって欲望がギラギラ感じられるブロンディはそんなに好きじゃなかったんだけど、時代に傷跡を残すヒットチューンを幾つか残しているんだよな。事実は否定できない。

 
 5月の走行距離は650km。勝負の5月にこんなんじゃダメじゃんって言われても仕方ないが、アクシデントでアバラと肩を痛め4日しか外走ってないのに、これだけ走れたのはマズマズと思うことにしたい。距離は踏めなかったけど、何とかコナした3本ドリルは明日の糧になるはず。何とか誤魔化せないだろうか?という淡い幻想を持って臨んだ3hエンディユーロで潰れたのも、現実を思い知らされるという意味で、長いシーズン考えればよかったと思う。
6月17日の富士あざみラインで最も過酷なヒルクライムを体感して、7月の石川ロードへ突っ走っていくのだが、まだ、2クールあるので努本人の自覚と努力次第で別人のように変われるはず。変わってやりたい。