ザ・マスター

前評判が高く、初日19:10開演の部ははほぼ満席。
文学的で、哲学の香りがする難解系の映画を観るのは久しぶりだ。


第2次世界大戦で精神を病んでしまい性的妄想とアルコール依存から抜け出せない男が、カルト教団教祖の娘結婚パーティが行われる客船にもぐりこみ、そこで教祖の慈悲を受ける。カルト教祖は男を救おうとしているのか、その破滅的な精神に一種の憧れを持ったのか分からないが、教団のバランスが崩れていくのを分かりながら、男をそばに置き続ける。


 カルト教祖を演じているのは、パイレーツ・ロックカウント伯爵を演じていた髭のシーモア・ホフマンで、包み込むような優しい表情が実に魅力的。彼が教団を作ったら凄い数の信者が集まるだろうな、なんて思ってしまう。
 病んだ男を演じるホアキン・フェニックスのなりきった演技は、本当にイッちゃっているみたいで、昔の彼女の家を訪ね母親と話すシーンなんかは正視するのが恐ろしいくらい。
 何を考えているのか分からないような、表情を殺した演技が教祖の妻を演じるエイミーアダムスの演技も内側から湧き出るような凄味があって、冷たい視線でホアキン・フェニックスと会話するシーンでは背筋が寒くなる。
 教祖と妻の関係がよく分からない、教祖と男の関係と距離感はもっと計りにくくて、この3人のよく分からない関係と、読めない展開に若干苛立ちながらも、その3人の圧倒的な存在感と演技力に引き込まれ、よく咀嚼できないまま映画館を後にする。特には、こういう映画もいいと思う。しかし、タマにで充分だ。